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ゲーム「Ghost of Tsushima:ゴーストオブツシマ」について

・この記事には、ネタバレを含みます。

 

2020年7月17日に発売された「Ghost of Tsushima:ゴーストオブツシマ」

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鎌倉時代元寇を題材としたこのゲームは、アメリカで制作されたものです。にもかかわらず、日本人がプレイしても何ら違和感のない世界観が作りこんであるところが、今作最大の魅力なのではないでしょうか。

この点、歴史的事実と若干の相違があることや、四季が混在していることに指摘があるそうですが、ゲームをプレイする上では全く気になりませんでした。ちなみに、四季については制作側も承知済のようで、より美しいグラフィックを追求した結果だそうなので、わたしは大賛成です。細かいことを気にせず、自由に楽しめるというのもゲームの魅力ですからね。

 

そしてこの作品は黒澤映画に強い影響を受けており、それは「黒澤モード」なるモードが設けられているほどです。ちなみにこのモードでは、画面がモノクロの映画調になります。

 

私はこのゲームをプレイした全プレイヤーに、この2つの質問を投げ掛けたいと思います。

 

 

①境井仁を支持するか、志村を支持するか。

私は志村を支持します。といっても、もちろん志村の考えに全面的に賛成できるわけではありませんが。

 

境井の考えは、乳母である百合の考え方の影響を強く受けているようで大きく異なっています。

百合の台詞として、「動かない石は、水の流れに削られるもの」という印象的な言葉がありました。この百合の言葉には、保守的な考え方の志村を動かない石に例え、勇気ある行動を勧める意味合いがありました。

しかし、百合が理想としているのは、仁の父の考え方、つまり「豊富な教養と柔軟性」です。百合や父は、決して誉れを軽んじているわけではないのです。

 

対して、仁は「誉れがなんだ」と言い切ってしまいます。背後からの不意打ちなど、武士にとっては禁忌ともいえる戦闘方法を平気で行います。もっとも私としては、戦闘方法に関しては特に批判することはありません。なぜなら、多勢に無勢の状況でモンゴル兵を倒すためには必要な行為であったからです。

問題なのは、武家の秩序を乱す行為です。民は、仁を見て、支配者に反逆することを覚えました。このことは、今後の統治に大きな悪影響を与えます。このことは非常に深刻です。なぜなら、現代とは違って、下層の支配階級の者に教養や知識が備わっていなかった時代において、反逆は地域の崩壊や壊滅的な戦いにつながるからです。

つまり、志村氏が武家のやりかたでモンゴル兵に挑戦し、敗北するのであれば、それでよかったのです。仮に対馬が陥落したとしても、本土の抵抗が成功すれば、その段階でモンゴル兵の台頭は食い止めることができます。また、そうすれば「従うものには褒美をやる」というモンゴル兵たちは、民を平和的に支配したと考えられます。

つまり、仁は対馬をモンゴル兵から守る」という点においては非常に重要な役割を果たしましたが、「民を守る」という点においては、役立っていないのです。

仁の「敵をとる」という意識や、「目の前の人を助ける」という意識は、個別の事例では素晴らしい行いかもしれませんが、全体として長期的に見た場合には褒められたものではありません。

この点を理解していた志村は、あの時代における真の統治者だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

②最後の勝負では志村に対して、どちらの選択肢を選ぶべきか。

 

私には、生かすという選択肢しかありませんでした。なぜなら、殺すことを正当化する理由が全く思いつかなかったからです。

幼い頃から稽古をつけ、世の中の道理を教えてくれ、人生最大のピンチの時に助けに来てくれた唯一の救い家族を、何故理由もなく殺すことが出来るでしょうか。

 

しかし、私が見ていた配信者さんは、「殺す」選択肢を選びました。すると、ある意味ハッピーエンドにたどり着くことができたのです。

境井仁は、自らの命を守ることができました。また、仁がモンゴル兵の打倒に成功すれば、モンゴル兵から救われる対馬の民が大勢現われるでしょう。

そして志村も、誉れある死を遂げることができました。

 

しかし、ここで志村が得た「誉れ」とは何なのでしょう。息子に殺されるのとの何が誉れになるのでしょうか。

考えられる理由はいくつかあります。

一つは、戦いで命を落とすことができたという点です。先の戦いで異国の軍の野蛮な戦術によって、無惨な死を遂げた姿を見ているため、そのような死をたどらずに済んだという安心感もあったのではないでしょうか。

二つめは、息子の成長を感じることができたという点です。道中で度々、仁の活躍から成長を感じとる場面がありましたが、やはり剣術の師にとって自分の教え子が自身が授けた剣術によって自らを超えていくことは至極の喜びでしょう。

三つ目は、本音を伝える機会を得ることができたという点です。志村は長としての立場がありますし、鎌倉の将軍の御家人として奉公を誓っているため、仁を咎め、殺さなければならない社会的立場にありました。

しかし、仁があの場で謀反を起こすことで、仁を生かす選択肢、つまり志村にとっては息子を守る選択肢が生まれたのです。

二人きりだからこそ、志村は一人の叔父として、仁を息子と呼ぶことができたのでしょう。つまりあの戦いは、志村が嘘偽りのない正直な気持ちを表せる最初で最後、唯一の場所になったのです。