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映画「西の魔女が死んだ」を観て

今回ご紹介するのは、こちらの英語です。

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この作品は、全てを語らないおばあちゃんを中心に描かれたものであるため、人によって様々な捉え方やポイントをがあるでしょう。

 

私自身、序盤は「現代の生活の豊かさ」や「自然と生きるということ」「人間関係の難しさ」などのテーマを背景に感じながら鑑賞していました。

しかし、後半30分によって「おばあちゃんの弱さと孤独」に目を向けずにはいられなくなりました。

 

穏やかに凛と生活していたおばあちゃんは、自分の生活がオールドファッションだと悟っていたのでしょう。

それでも、何十年も営んできた生活のスタイルを変えることは容易なことではなく、また途中で変えたところで今までの生活の否定になってしまう故、昔と変わらぬ生活を営み続けたのでしょう。

もちろん、この選択は上記のような消極的な理由だけではありません。この生活を自分は好むのだという揺るぎない信念を持った積極的な選択であったと思います。

 

しかしある日、おばあちゃんの日常の中に、「まい」という非日常があらわれたことで、その信念に少しの揺らぎが生まれたのではないでしょうか。

 

まいと過ごす日々の中で、おばあちゃんは、まいとジャムを作ること、まいにお茶を入れてあげること、そういった非日常的なことが「平凡な日常の中の幸せ」だと感じるようになったのでしょう。

つまり、"平凡"な日常の中に、"非日常"を求めてしまうという矛盾ですね。

まいにとっては、おばあちゃんの日常を共に過ごしていたつもりだったのでしょうが、おばあちゃんにとっても、まいとの日々は非日常だったわけです。

 

 

そして、この経験は2人にとってかけがえのない大切なものたと同時に、2人は自分とは異なる新しい世界を知ってしまいました。すると、隣の芝は青く見えるものですから、ifルートを想像してしまうことは仕方の無いことです。

 

この点、まいはこの先の人生を自分で選択することが出来ますが、おばあちゃんは人生を選択し終えた後に、他にあった選択肢をまざまざと見せつけられたわけです。

例えば、まいのお母さんは、おばあちゃんとは真逆の生活を送っていますが、そのことについておばあちゃんはどう思っているでしょうか?娘の選択は幸せなものだったと手放しに喜べているでしょうか?

 

まいが家を去った後、おばあちゃんは1人で、このような様々なことを人生の終わり際に「答え合わせ」する自問自答を行ったのだと思います。

この孤独が視聴者の心に重い影を残すことになりました。

 

 

しかし、私はこの作品はハッピーエンドだと信じています。なぜなら、おばあちゃんは変わった人だからです。私たちが、おばあちゃんに"孤独"を感じたのは、私たちの感性にすぎません。

しかし、おばあちゃんの幸せを決めるのはおばあちゃんなのです。だから、おばあちゃんにとっては大きなお節介ですね。

私たちが人を愛するように、おばあちゃんは自然を愛しているのですから、おばあちゃんは全く孤独ではありません。

おばあちゃんは、たくさんの生き物に囲まれた豊かな生活を幸せに送ったのだと思っています。

 

それなのに私たちは「おばあちゃん」「一人」「孫との別れ」「死ぬ」という記号から、それらを結びつけるストーリーを勝手に想像し「孤独」という結論を導いてしまいがちです。

 

これは、もう日々の中で刷り込まれている感性だから仕方ない部分ではありますが、これはまさにまいがゲンジさんに対して行った思考と同じなのではないでしょうか?

 

まいはゲンジさんに対して、「顔つきが怖い」「口が悪い」「薄汚い」などの記号を、勝手に結びつけて想像を飛躍させ、「悪人」という結論を導いてしまいました。

しかし、そんなゲンジさんは無骨でダメな部分もあるけれど、根は優しい人だったのです。それを知っていたから、おばあちゃんはまいを叱りました。

 

だから、きっと私たちが「西の魔女は孤独を感じていた」なんて感じたことが彼女に知られたら、まいのように彼女に怒られ、諭されてしまうかもしれませんね。

 

 

最後に劇中の印象的なセリフを。

「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだかといって、だれがシロクマを責めますか。」

おばあちゃんらしい例えが心を温めてくれます。原作の本では、このような素敵な言葉によりたくさん触れられるそうなので、是非読んでみようと思います。

 

 

 

蛇足ですが、この映画を見て少しでも祖母に喜んでもらえるような孫になろうと思いました。

この本が児童文学である所以は、このようなところにあるのかもしれませんね。