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「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」に物申したい

 

昨日、劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを見てきました。以下の文章は、そこで感じた違和感を消化するためのものです。これから皆さんとはこの違和感を共有できたら嬉しいです。

一行目から多分にネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。

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・違和感を感じた3つのポイント

⒈少佐が生きていた

作中でも死亡した決定的な証拠はないものの、頭部に銃撃を受けて瓦礫に埋もれたはずなのに、生きてているのは不自然さが残りました。

当時の状況について、ホッジンズや少佐の兄もまず助からないだろうと評していたのに、理由付けもなく実は生きていましたというのは、あまりにご都合主義であるように感じます。

 

⒉ヒーローと悪役のバランス

ヒール役だった少佐の兄の株が上がる一方で、ヒーローであったはずの少佐の株が下がりすぎたように感じます。

かつての誠実さや勇敢さ潔さはどこへやら、奇跡的に一命を取りとめたあとは、その無事を誰に伝えることも無く孤島に引きこもったきり。さらに、ヴァイオレットが訪ねてきてもウジウジと自宅に引きこもり、ホッジンズの説得にも自分語りを返すのみで耳を貸そうとしません。このような態度には、作中でも、「大バカ野郎」「麻袋に詰めて引きずり出したい」などと指摘されていましたが、これらの台詞には多くの視聴者が共感したのではないでしょうか。

さらに言えば、ヒール役であった兄も良い人にはなりきれなかったように思えます。やはりこれまでヴァイオレットにしてきた行為の卑劣さを踏まえると、今更彼が何を言おうが言葉に重みを感じられませんでした。

 

⒊ヴァイオレットと少佐の愛を「恋」とした

決定的に描かれていたわけではありませんが、終盤の海辺のシーンで少佐がヴァイオレットに伝えた「愛している」という言葉は、まさしく告白という意味合いを持っていました。

さらに、作中で少佐の話になると頬を赤らめるヴァイオレットの表情や、自分の思いは「気持ち悪いでしょうか」と不安になる等、作中にも恋心が読み取れる描写が数多くあったことを踏まえると、2人は恋心を抱きあっていると捉えるのが自然に思えます。

 

しかし、その解釈はこれまでの文脈とそぐわないように感じるのです。

なぜなら、アニメで描かれてきた「愛してる」のかたちとは、恋心というよりは家族や友人間に生まれる「愛」であったからです。

さらに、ヴァイオレットの境遇を踏まえると、少佐に対する感情は唯一無二のものであるとは推察できますが、それは恋ではなく尊敬や感謝など、家族や上官に対する畏敬の念と愛着であるように思えます。そして、仮に恋心が芽生えていたとしても、それを恋心と結論づけるにはまだ時期尚早なのではないかと感じてしまいます。

また、少佐がヴァイオレットに恋心を抱くきっかけもよくわかりません。孤児を引き取り、慈しみながら育てるあたたかい心は読み取れますが、それがいつ恋心に変わったのでしょうか。ましてや、ヴァイオレットに普通の暮らしを与えてやれなかった罪悪感を抱えているなら尚更疑問です。

 

 

・劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンの再解釈

こう考えると、2人が恋心という「愛」で結ばれるという結末はやはり不自然であるといえそうです。

であるならば、やはり劇場版の結末はそのようなものではなかったと捉え直すべきなのではないでしょうか。

つまり、やはりヴァイオレットと少佐の間には、お互い恋愛感情はなかったのだと考えてみます。

しかし、ヴァイオレットは勤めていた郵便車をやめて、少佐が暮らす島に移り住んでいます。この点整合性を取るためには、ヴァイオレットの目的はただ、少佐の傍に置いてもらうことだと考えられます。

ヴァイオレットは、今後も少佐の傍で、まだ知らない事や感情を与えられながら、生活に彩りを得ていくのです。つまり、この関係性はあくまで与える側と与えられる側という構図です。

では、少佐は与えるだけで何も得ていないのかという疑問が生まれますが、少佐は教師を務めていることからもわかるように、人に与えることを自身の贖罪としているのでしょう。

2人はこれまで得られなかった自由を謳歌しつつも、やはり過去の自分から完全には解放されることはできないのでしょう。これは、多くのを殺めた咎として仕方の無いことかもしれません。

 

このように考えると、劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンの結末は、ハッピーエンドとは言えないのかもしれません。

 

さらに個人的には、ヴァイオレットには自動手記人形としてその才能を遺憾無く発揮し続け、表舞台に立ち続けてほしかったなと思い、残念でなりませんでした。