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リズと青い鳥が「百合映画」ではない理由

 

響けユーフォニアムシリーズのスピンオフ作品であり、「響けユーフォニアム〜誓いのファンファーレ〜」と同時に公開された「リズと青い鳥」。

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この作品は、悲しいことに一般に百合映画と括られることが多い。しかし、本作で描かれているのは、恋愛ではなく、友情が形を変えた醜い感情である。

 

 

①みぞれがのぞみに向ける思いは恋ではなく、「依存」

初めて話しかけてくれた、吹奏楽と出会うきっかけを与えてくれたのぞみを盲信しているのがみぞれ。

アニメ本編でも、「オーボエだけが、自分とのぞみを繋ぐものだから」という理由だけで吹奏楽部を続けていると語っていた。

なぜなら、みぞれにとってのぞみは唯一無二の存在。一人ぼっちでいたみぞれに話しかけて、優しくしてくれた唯一の人だから。

みぞれは一人が好きなのかもしれないが、好き好んでいつも1人でいるわけではないのだ。

(話は逸れるが、今回の映画でみぞれを慕い、仲良くなろうと奮闘する後輩たちの姿が描かれていたことに安心した視聴者は少なくなかっただろう。)

 

 

②みぞれはのぞみに不満を持っている

友達だと思っていたのに、自分には何も相談も報告もなく部活を辞めたのぞみに対し、「勝手だ」と思っている。

実際にアニメ本編では、のぞみが吹奏楽部に戻ってきたいと言ってきた時、「(のぞみのフルートの音を聞くだけで)吐き気がする」と言っていた。

もちろんこれは、嫌悪感からくるものではなく、トラウマからくるものであったが、みぞれの中には確実にのぞみに対する不満が存在している。

しかし、それ以上にのぞみが自分を置いてどこかに行ってしまうのが怖いがために、不満を表せずにいるだけなのだ。

 

本編では、これらの不満が消化された描写がないまま、のぞみを無条件で好きなみぞれしか描かれていなかったがために、視聴者はのぞみに対する違和感が拭えなかった。

今回、「リズと青い鳥」はこの違和感を解決するために制作された映画と言っても過言ではない。

実際、山田尚子監督は、コメンタリーで「原作のどうしようもない途方に暮れるような、空虚な関係性に対しても責任を取りたいという思いがあった」と語っている。

 

 

リズと青い鳥は、残酷な物語

のぞみにとって、残酷な物語である。

「才能」を見せつけられ、劣等感に苛まれる。

 

みぞれにとっても、残酷な物語である。

「のぞみの笑い声が好き。話し方が好き。髪が好き。全部が好き。」と伝えるみぞれに対して、のぞみは「みぞれのオーボエか好き。」の一言。

この発言にこめられたのぞみの真意はわからない。けれど、この一言で、みぞれは、のぞみが自分に向ける気持ちはこれからもずっと自分の方が大きいままだと、悟らされたのだ。

この言葉は、みぞれが進路を決めるにあたって必要不可欠だったかもしれない。しかし、それにしてもあまりにも残酷な一言であったことに変わりはない。

 

 

もっとも、この映画の二人の関係性に、百合要素が全くないかといえばそれは疑問である。したがって、「百合映画ではない」というのは、恋愛が主題に置かれているのわけではないという意に限る。

きらら系アニメが百合というジャンルに括られることもある昨今では忘れがちかもしれないが、本来、百合とは、友情、情愛、嫉妬、憎悪、執着、依存など様々な感情が複雑に混ざりあって生まれるものである。

だから、ある意味では「リズと青い鳥」という映画は、まさに百合を描いた作品であるのかもしれない。ただ、癒しなどを求めて百合を好む者には、少々ショッキングなものであることは確かだろう。