「古典×現代2020」の感想 前編
父親と久しぶりにどこかへ行こうということで、やってきたのがこの展覧会、「古典×現代2020 時空を超える日本のアート」です。
会場は、乃木坂駅近くにある国立新美術館で、以前当時のクラスメイト2人とフェルメール展を見に来たことを思い出しました。
新国立劇場の入口では、コロナ対策のためアルコール消毒と検温をします。体温が37.5度以上あった場合は入場できないそうです。
ここまで自転車で来た私と父親は、体が温まっていて少し不安でしたが、無事に館内に入ることが出来て一安心。
館内では2階の一番奥の展示室まで向かう間、スタッフさん以外の人にはほとんど遭遇しませんでしたが、展示室につくと入場列ができていました。
時間指定券の時間ギリギリに着いてしまった私たちは、急いで受付に向かってなんとか入場。パンフレットと紙入場券を受け取って、いよいよ展示会の始まりです。
(収集癖がある私としては、オンラインチケットであっても紙入場券を配布してくれるところがポイント高かったです。)
①仙厓×菅木志雄
〇をテーマにしたこのブースを見て、まず思い出したのがインド哲学「0」の概念です。その他にも果てしなく続く宇宙や、仏教の悟り、輪廻転生など様々なことがこの〇で表されてきました。
菅さんの空を支える支柱という発想には、目に見えない無を捉えるという点で面白さを感じました。
もう1つの作品は、自然物たる石をあるがままの姿で四角形に並べ、そのうちの3辺に人が通れるほどの隙間が空いていました。
しかし残念な私の頭では、そこから何を読み取ればいいのか考え込んでしまい、今でもモヤモヤしています。
展示方法はシンプルで、花鳥画と写真がそれぞれ壁に飾られていました。また、一番奥のスクリーンには、川内さんの3分程度の映像作品が上映されていました。
このブースで私が惹き込まれたのは川内さんの寄せたコメントです。細かい部分は記憶が曖昧なのですが、
「私が撮った写真に写る小さな生き物たちと、花鳥画に描かれた小さな生き物は同じものなのでしょうか?」
という趣旨のコメントだったと記憶しています。
つまり、
写真や映像は、ある意味残酷なまでに そこにある存在をあるがままに記録するのに対して、絵は、作者の感受性を無視して描くととは不可能だという点を強く強調したいのだと感じました。
そう考えてみると、次の映像作品にもつながってきます。
なぜなら、映像では、鳥の大群が様々な隊列をなして幾何学的な曲線を描く姿が表れていたのに対し、写真では、規則的な隊列が強調されたからです。
こちらでは、先ほどの例に反して、写真とは必ずしも真実を写すものではないことが表されているのでしょう。
客観性は、映像、写真、絵の順に
感受性は、絵、写真、映像の順に担保されているように思っていましたが、
その順を覆すほど、この方の撮る写真は、「朝」を感じる優しい光に包まれており、「写真の感受性」という可能性を強く感じる展示でした。
また、花鳥画に描かれた鳥の、瑠璃色、というのでしょうか。鳥の青色がとても綺麗でした。
③円空×棚田康司
円空の作品と棚田さんの作品には、彫刻という共通点があります。
棚田さんの彫る人間の顔は整っています。まるで人の似顔絵のようです。しかし、気の木目がその作品を自然に根ざしたものに見せています。
対して、円空の彫る顔(人間ではなく神仏でした)はとても似顔絵のようとは言えません。なぜなら、木の特徴に合わせて、その性質に逆らわない線を彫っているからです。つまり、真の意味で自然に根ざしているのです。
現代の私たちは、木の木目を見ると「自然だ!」と感じてしまいますが、この展示を見てからは少し滑稽に感じてしまうようになるかもしれません。
また棚田さんの作品ではとくに、「宙の像」という彫刻が印象的でした。風に靡き膨らむスカートの質感を表現する技術は圧巻でしたが、それ以上にその像の女性とは目が合って離れないのです。
④刀剣×鴻池朋子
これほどまでに状態がいい日本刀を見たのはこれが初めてでした。刃の側ではない背の部分は、鏡のように鮮明に私たちの目を映し返すのですね。
鍋島家の彫り師の作品であるという不動明王の刻印がむちゃくちゃかっこよかったです。大きな刀ではないので、不動明王のデザインがコンパクトに密度高くまとまっていたのが好きでした。
また、このブースには今回唯一撮影可能スポットがありました。それがこの写真。
(蛇足ですが、この作品は個人所有だそうです。ここですら床についてしまう大きさなのに、どのように管理しているのでしょうか。)
牛革を繋ぎ合わせたものをキャンパスに、クレヨンで狐や魚、臓器や火山などあらゆる生命が描かれていました。
そしてその皮を断ち切るように真ん中に吊るされているのが、銀のかたまり。人間の顔の形をした銀色の物体が、ふりこのように揺れているのです。いや揺れているというより横切っている?いや駆け抜けている?とにかくなかなかのスピードで往復しているのです。
刀剣との同時展示なのですから、この銀色の顔像は人間や「刀」の象徴であると考えるのが自然でしょうか。
生命を断ち切る銀色の刀。それは恐ろしい形相をしていました。
長くなってしまったので、つづきは後編で。